『自分オリジナルの神様』を祈る方法については何度も指摘しましたので、そちらについては該当記事を御覧いただくとして、今回は『自分オリジナルの神様を出現させる』と言うことについて説明したいと思います。
『自分オリジナルの神様を出現させる』とは、つまり、『自分自身の中にある深い自分と一体となる』と言うことです。
間違っても、『自分とは無関係な神様が取り憑く』などと考えてはいけません。
今まで出現した無数のイカレタ新興宗教の教祖は『自分オリジナルの神様を出現させた』のではなく、『ある種の霊的な存在に取り憑かれたに過ぎません』。
その様な人たちが説いた教えは効果がないばかりではなく、信者の人生全般を『カルマの闇で覆ってしまうのです』。
しかし、人間とは弱いもので『物事が上手く行かなかったり、あるいは、劣悪な家庭環境、深刻な身体的状態が原因となって、何かに縋(すが)りたくなってしまうものです』。
具体的には指摘しませんが、著名な歌手、俳優、評論家やIT関連の創業者であっても、チョとしたことが原因となって様々な宗教団体に縋ってしまうケースが多々見受けられますね。
ここまで書くと、皆さんは『憲法20条で信教の自由が保障されているのだから、宗教を信じるか否かも個人の判断に委(ゆだ)ねてよいのではないか』と思うでしょうね。
しかし、その考え方は危険です。
私の体験から言えば、宗教と言うものは『多かれ少なかれ全てカルト』です。
勿論キリスト教も例外ではありません。
『安全な宗教』などと言うものは、3次元世界には存在しないのです。
そのことを踏まえた上で『どうしたら人は救われるのか』と言うことを真剣に考える必要があります。
その答えが『自分オリジナルの神様を出現させる!』と言うことに他なりません。
『自分オリジナルの神様』は自分専属の神様です。
言い換えれば、深い自分自身なのです。
従いまして、様々な宗教団体が説く『怪しげな神』と『自分オリジナルの神様』とは、明かに異なる存在であり、『自分オリジナルの神様』は自分自身にとって『安全かつ絶対的な道しるべ』となるのです。
そのような頼もしい『自分オリジナルの神様』を出現させるためには『ひたすらに、自分オリジナルの神様を祈る』必要がありますし、それだけで良いのです。
追伸:ちなみに、仏教関連の宗教だから安心、だとか、般若心経を唱えているから心の平穏が保てる、と思っている人もあるかと思いますが、そんなものは『究極的な場面では糞の役にも立たないどころか、死後、相当ヤバい場所に往生する可能性すらあります』。
ブッダが説いたからとか、キリストが仰ったなどという安易な依存心は『最後には自分を滅ばしてしまいますよ』。
気を付けて下さいね。
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