全てを諦(あきら)めない限り人間は救われない

『天命』と言うと、『何か有益的なことをする』イメージがありますが、生きている目的は『天命』を全(まっと)うすると言うよりも、むしろ、『苦しむ』ことに主眼が置かれているように思います。

つまり、『苦しみの中で生きて行くこと自体が天命』なのです。

従いまして、私たちが、仕事・勉強・その他のプライベートなことで『苦しんでいる』としたら、『このために自分は生れてきた』のであり、『天命』を全(まっと)うしている、まさにその最中ですね。

その様な状態は、良いとか悪いとか、白とか黒とか、ではありません。

『無色透明な苦しみ』ですね。

いや、『苦しみ』でさえありません。

『ただそれがある』だけです。

救われるための解決策は『そのことを受け入れる』だけです。

言い換えると、『すべてを諦めて生きて行く』ことが出来るのならば、『 既にその人は救われているのです』。

逆に言うと『全てを諦めない限り人間は救われません』。

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