祈り、経文、題目、念仏、瞑想、ヨガ、座禅、その他のスピリチュアル的な行法を駆使しても煩悩を消滅することは出来ません。
煩悩の主たるものに、物欲、名誉欲、情欲の3つがありますが、これらの煩悩は、今生じたものではなく、過去世の因縁により、現在の諸環境が原因となって必然的に現れるものです。
これらを『上記の方法で消滅させる』と躍起になっている宗教等がありますが、これは不可能です。
たとえ、一時的に煩悩を抑えることに成功したとしても『いずれ因に触れ、よりも大きな形で出現し、取り返しのつかない結果となります』。
この辺りは、キリスト教、仏教関係者を中心とした性加害報道をご覧になれば明らかですね。
それでは、私たちは煩悩に対して何のすべもないのでしょうか?
そんなことはありません。
私が用いている方法として『気持ちを自分から離す』と言う方法があります。
しかし、『自力で何とかする』、『我慢する』と言うのでは結局失敗に終わります。
自分から気持を離すために『世界平和の祈り』を祈るのです。
なぜ、『世界平和の祈り』が煩悩に効くのかと言えば、『世界平和の祈り』を祈ると自分の意識が世界レベルに広がるからです。
これにより、自我意識が低減し、煩悩もそれに伴って『相当程度現れなくなります』。
ここで、『相当程度』と表現しましたが、0にすることは出来ません。
そもそも、『煩悩が生じる因縁があるからこそ、私たちは生まれてきたのです』。
それを、0にするには『悟りの境地を体得するより方法がありません』。
しかしながら、いかなる修行をしても『悟ることは絶対に出来ません』(皆さんが、仏陀以上の人物であれば別ですが…)。
0を目指して四苦八苦することは無益であり、『現れた煩悩は、自分の実力の証左である』として見切ってしまわなければなりません(これが五井先生が仰る『消えていく姿』と言う考え方です)。
ただ、漫然と仕事や勉強をしていると、『何かと刺激の多い令和の闇的な社会』においては、『気が付けば煩悩まみれになってしまいます』。
そうならないためにも、『世界平和の祈り』を祈るべきですね。
コメント