他の祈りと『延命十句観音経』との違い

私は、今までに様々な祈り、経文を試してまいりましたが、『延命十句観音経』以外は、『気休め』にしかなりませんでした。

つまり、困った時に『何の手助けにもならない』ということです。

宗教的なものに嵌っている人は、宗教的な行為をしていると『効果があるか否かは別として、ある意味洗脳されている状態になります』。

従いまして、実際効果があったか否の判断が『曖昧になってしまうのです』。

言い換えると、全く効果が何にもかかわらず、『効いている』、『〇〇のおかげ』という気分になってしまうのです(神社・仏閣にお参りしている人も同様です)。

しかし、客観的に見ると『ナチュラルに不幸になっているケースが極めて多いのです』。

例えば、不慮の事故に遭った人は『神に祈ったことはないのでしょうか?』、『何もお守りを持っていないのでしょうか?』、『初詣に行ったことはないのでしょうか?』…

そんなことはありませんね。

だとするならば、『それらの宗教的な行為は結果として効果がない』ことが分かります。

更に付言すると『ほとんどの宗教的な行為は無意味』なのです。

延命十句観音経の読経以外は…

皆さんも、先ずは1日100回を目指して、延命十句観音経を唱えてみて下さい。

そうすれば、10日で1000回となります。

その時点で、『何かの効果を実感できます』。

仮に実感できなければ、その時点で止めればよいだけのことです。

騙されたと思って、実行してください。

信じられないかもしれませんが、このサイトをご覧になっている皆さんは、『過去世において延命十句観音経に出会う善因縁を作っていたのです』。

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