今生の出来事は、ほぼ100%過去世の因縁が原因となって必然的に現出しています。
従って、『こうなりたい』と願い努力しても『出来る人は出きるし、出来ない人は出来ません』。
つまり、今生の努力は今生の運命には反映されないのです。
殺人を犯す人は、必然的に殺人を犯し、自己破産する人もまた必然的です。
一流大学に入学し、あるいは大企業に就職することも必然なのです(勿論そのことが幸福に直結するわけではありませんが…)。
優しい両親のもとに生まれることも必然であり、虐待をするトンデモナイ両親のもとに生まれてくることも必然です。
仮に、不幸な運命を避けたいのなら『過去世に戻って人生をやり直すしかありません』。
ただ、そんなことは誰も出来ません。
そこで、必然的に登場する考え方が『すべてを諦める』という生き方です。
皆さんは、此処まで聴くと『じゃあ何をしても無意味なんだ』と思うでしょうが、確かに今生の人生展開においては無意味です。
しかし、来世あるいは来来世、来来来世、来来来来世、来来来来来世、来来来来来来世、来来来来来来来世…等に想いを馳せることが出来るならば、『無意味なことなど1つもありません』。
それに加え、今生での人生展開は『本来自分自身がある意味望んでいた(設定していた)ことなのです』。
だから、『それに対して、文句を言う相手がいるとするならば、自分自身と言うことになりますね』。
つまり、今生での諦め的な人生は『あなた自身の計画通りなのです』。
このことを逆説的に考えるのなら、『ある意味素晴らしい価値ある人生ともいえるのです(自分自身の計画通りなので…)』。
追伸:以上述べた通り、今生においては『想定外のことなど起こりえません』。
ただ、自分が予測することが出来なかった『必然的な出来事』が現出するだけなのです。
そうであるならば、『多少の懸案事項があっても、それに捉われることなく、すべては決まっているものとして、自分の直観を信じて行動すれば良いことになりますね』。
そうすれば、『傷が浅くて済むのです』。
ジタバタする事により却って大事になってしまうのです。
令和の人は、自分を守り過ぎるが故にナチュラルに不幸の沼に落ちこんでいます。
『すべてを諦めれば良いだけなのです』。
それが、出来るか否か、それだけなのです。
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