私がこのサイトを始めた主な動機は『自分のストレス解消』です。
しかし、副次的には『私が今まで掴んできた信仰的な部分を皆様にご提示できたら』と言う思いも正直ありました。
ただ、そのようなことをしたからとて、『私自身が救われることにはなりません』。
私が救われるためには『常に観世音菩薩に気持を合わせる必要があります』。
『延命十句観音経を可能な限り唱える』、と言うことも『霊験を起こす』と言う意味では大切ですが、『救われの視点』からは、左程重要なことではありません。
『常に観世音菩薩と一体とならなければ、令和の闇の中で救われることは出来ません』。
ちなみに、私がそう感じたのは、今朝、ある方から仕事の電話を受けたことに起因します。
『観世音菩薩のことを【四六時中】考えなければ、私自身救われない』と強く思いました。
皆様に置かれましても、このサイトを『他山の石』として頂き、最終的には視聴なさらない様宜しくお願いします。
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